hikari369のブログ

HSS型HSPの自分と毒親との生活(時々瞑想)

HSS型HSPの私が、毒親と毒家族の中で育って人生が壊された①

 

最初に私はアラフィフです。(40代)

 

毒家族、毒親の環境で育ったためか

深い人間関係を築いていくことが難しい、というか苦手です。無償の愛の記憶というか、すべてを受容された安心感というか、を感じてこなかったことが原因で人に安心感持てないのかもしれません。また、もともと持っているHSP気質が表に強く出てきたという可能性もあります。まあ、一概には言えないし、よくわかりません。

ただ、そんな深い人間関係をつくるとその関係が無くなることの恐怖もついてくると感じます。毎日不安定になってしまいそうです。本当に人間の基礎構築時の幼い頃の経験て大事だと思います。そしてHSP気質の敏感、繊細の気苦労も大変だなと感じます。

(そういう時はグラウンディング瞑想がいいです。また書きますね)

 

それと矛盾するのですが、安定し過ぎるのも苦手です、それはHSS型の気質ですかね、本当に自分が複雑です。分からないだろうな。(自分でもつかめないんだから)

 

私は、HSS型HSP(人一倍敏感で繊細でありながら、好奇心旺盛で外交的な気質)で、毒親と毒家族の中で育ちました、繊細で敏感な子供(私)と自分勝手で気分屋な親。母親の特徴からすると、多分自己愛性パーソナリティ障害かもしれません。

そんな誰にも理解されないかもしれない話です。。。。

 

 

昔の自分を今、評価するなら

幼いころから賢い(自分で言ってすいません)、言うことを聞く、優しい俗にいう「とても良い子」でした。

(小学校時代は、一年間に賞状を2枚はもらうタイプです。絵画や習字、感想文等でもらっていました。性格は真面目すぎるくらい真面目な子)

 

でも母親からしたら、愛情を注ぐような可愛い子供ではなかったようです。

毎日のように怒られていました。

私は、いつも悪い子だと言われます。母親のただの八つ当たりですが子供には、そんなことは分かりません。

おこられるたびに「ごめんなさい」と自分を責めて泣きます。

 

母親は子供に対する愛情を持ち合わせていなかったのでしょう。

いつでも自分のことが一番です。どんな時も。

母にとって私は、八つ当たりする相手であり、妹の面倒をみて家事を手伝うメイドであって

温かく愛情を注ぐ相手ではありませんでした。

 

なので私は、常に自分は大切にされていないという気持ちを持ちながら育ちます。自分がいると母の気分が悪くなる、私は悪い子と。

ですが、それでは生きていけません。「自分はいらない子」という最終的な結論から目を話すように、感覚を自覚しないように一生懸命抑えながらやっと生きている感じです。

それを認めると幼い自分は生きていけないですからね。そんな感じで子供ながらに自分を湾曲させてやってきたんでしょうね。

ただ、HSPという特性もあったので他の人の色々な気持ちを感じ取ることが、良くも悪くも出来てしまうので、悲しみだけに染まらずに、なんとか生きてきたといえるかもしれません。

 

私の家庭は多分、外からみたら普通の家庭です。

母親は育児放棄も暴力もなく子供を育てる普通の母親に見えるでしょう。

 

以前「毒親のもとに生まれてきたこと~」でお話しした家庭が私の記憶の中の家庭です。母親は、まったく覚えていません。

 

母親は人を罵る癖があります。人格否定です。

でも、私は小さいころから当たり前にされていたので悪いことだと思っていませんでした。みんな、怒るとそうなのだと思っていたのです。また、

 

こういう色々な心の歪みは恋愛や友人作りに大きく関わります。

大人になってから自分が、どれだけ歪められて虐げられて育ったのか色々な経験を通して感じていくことになります。

 

さいころから、現実をみたら生きていけないので(親にとって自分はいらない子)と、自分が自覚しないように想像力で乗り越えてきたように思います。

 

人を大切にすること、人を尊重すること、人に心を開くこと、人に頼ること

 

みんなにとっては当たり前ですよね。

でも、私はそんなことに目をやる暇はなく自分で自分を支えることに必死で、まったく自己成長が出来ていなかったんだと思います。

あまりにも分からない親のせいで思考停止もしていたと思います。

 

でも、ドラマや物語で自分では分かってるつもりなんですよ。勿論、現実的には経験がなく本当の意味で理解できていないんです。

信頼から築き上げていくような、そういう人間関係を作れるほどの成長は私には出来ていませんでした。

 

未成熟の自分の出来上がりです。

子供っぽい大人。

でも学生時代は、それで通ります。同じように未成熟な仲間がいれば周りを見ずにすむので。

でも、大人になり社会に出ると自分の未成熟さに驚くのです。

 

自分の感情のコントロール能力の無さや、自己肯定感の低さ、人のせいにする思考、ありとあらゆる自分のダメさ加減に目が向けられるようになっていきます。

愕然と自分は人と違うと気づくのです。何かが大きく違うと、今度は自分を変えることに神経を注ぐようになりました。

 

今のままのじぶんではダメだ。実際そうでした。でも、もしかしたら自分でも大丈夫と受け入れてくれる人を見つけることが大事だったのかもしれません。受け入れられてから教えてもらうことが今思うと順序として良かったのかも、と思います。

 

幼い頃から人に頼ることを知りません。親のことなど友達すら相談したこともなく一人で考えて一人で答えを出して一人で耐える。癖がついています。

だって友達にはいいお母さんて思われたかったですから。優しいお母さんの虚像をつくって(空想の中で理想を作ってむりやり思い込む、っていうことが出来ていました。今かんがえると危ないですね。実際に空想の人が出てきたりする人もいますから)

 

それは、今も心の奥にあります。

 

実は、母親が私より嫌っていた家族がいました。それは祖母です。母親は祖母を悪い人間だと言っていました。

何が嫌いとかではないんです。

とにかく目の上のたんこぶなんですよ。まったく上手くやろうなんて思わないんです母親は。とにかくいちゃもんつけて祖母を罵倒します。そして、泣くんです。

自分は可哀そうな嫁を演じるんです。おばあちゃんは悪者にされます。

いつもご飯を作ってくれたのはお祖母ちゃんでしたが家族はそれに感謝もしない人間になっていました。(今考えると本当に申し訳なかったし、おいしいご飯をありがとうって言いたかったです)

 

母親はそういう人間です。

本当にこころの底から嫌いですね、偽善者もいいところです。

でも、母親は、自分のことを反省することも自分のことを悪いと思うことも一切ない人なんです。何をいっても傷つかないんですよ、強い。なにも無かったことにして気分よく生きていける、私からしたら変人です。

自分の気に入らない人を周りを使って攻めさせるために自分は弱い人間を演じるんです、相手がまだ5歳であろうと。仲良くなりたいと思ってくれている祖母であろうと。頭がおかしいんですよ。自分は悪くないと自分は正義だと信じて疑いません。病気です、まったく人の気持ちなどを考えません。本当の正義を持ち出すと自分は悪になるので思考停止してるんでしょうか、もう、それすら考えてないと思えます。

多分、脳のどこかが壊れています。。最強なんです。何を言っても何回言っても分かることはないんです。

そんな、親を持ったのは私だけではないと思いますが、

本当に最も大きな試練です。

私のように敏感に感じないで考えなければ母に流されているのでしょうか。妹たちのように。そう考えると私が生まれたことは試練ですね、お互いに。

 

 

 

書いてて、感情が湧き出してきました。ふつふつとしてます。。。

 

それなのに例え、離れていても。常に私の頭に入ってくるんです、いちゃもんつけてくるんです。頭の中で。

母親に依存されて過干渉されて土足で感情をぐちゃぐちゃにされた経験ないと分からないかもしれません。HSPの私には本当に耐えがたいことでした。

母親は、どんな酷いことをしても私がそれに反論すると言い方が悪いと私を責めます。そして家族を使って叩きのめします。家族も毒なんです、とにかく泣いている母をかばうんです。私は悪くないのにいつも悪者にされます。

 

例えば、高校の頃

アルバイトのお金3万円、漫画に挟んで本棚にしまっておきました。漫画とい行っても月間だったかな。それを母親は捨てました。だいたい、私のものは平気で何でも捨てるんです。小さいころから大切にしてる物を教えると数日後に捨てられていました。気づかないで捨てたにしろ、謝るのが筋じゃないですか?

でも、母は「そんなところに置いておくから悪い」と私に怒り出したんですよ。そんな事ばっかりです。例えを上げれば切りがありません。とにかく一切謝りません。でも、私は食い下がります、そうすると家族の出番です。

泣きながら私に責められたと母は言います。自分のミスを棚に上げて。

私にしたら当時自給600円代で働いたお金です、怒って当たり前じゃないですか?月間漫画とはいえ、ちゃんと本棚に入れてるんですよ。

 

常に干渉され、罵倒され、大事なものは捨てられて

怒ることも許されないんです。反対に反省させられるんですよ。

そういう経験してきた人っているのかな?

 

本当に小さいころから私の大事なものはすべて捨てられてます。

毎年2~3枚もらっていた賞状も県で入賞した絵画も、絵画モデルとしてスカウトされた私がドレスを着た姿の絵画の複製も。中学生頃からずっと少しづつ集めていた絵画の道具一式も若いころの写真もウェディングドレスの私も全て捨てられました。それ以外もきりがありません。私のものは、私が大切にするものや私が称賛されるものは、とにかく抹消しないと気に食わないんです。

それで、怒ることも許されないのです。自尊心が育つどころではありません。

家族も母のおっちょこちょい、くらいにしか思わないのです。異常です。

 

 

私は家族の中で性格が悪くて母親を泣かせる悪い人。となっていました。

母親は祖母と同じ方法で私を悪者にしてきていたのです。(祖母は亡くなっています)

私は、幼い頃からやつ当たりと育児放棄をされ、無視され罵られ、お手伝いをさせられてきた上に家族みんなから嫌われる悪い人にされていました。

 

私からすれば、理論的な考えが出来て一番まともなのは自分だと思います。

妹たちは普通ですよ。悪くないです。私がターゲットだったので母の嫌がらせからは免れています。母にちゃんと同調していたので。私は母を見抜いていたから嫌われていたのかもしれません。

 

父親は、夜遊び好き、女好きで私が高校受験のときに母と離婚騒動起こしてます。まったく迷惑でした。母が感情的なので受験どころではありませんでしたから。1~2年でもとさや、ですよ。なんなんですかね?(また、その話も書いて行きます)父も思考停止で子供に威張りちらす人でした。私と母と言い合うと必ず母親の方を持ちます。単に母には後ろめたいところがあるからです。正しいことも分からず考えず、悪いことを悪いと言えない劣悪な人間。あんな小さな子供に親二人して、すべて子供のせいにするんですよ。人間の屑です。

この人も自分が一番。ひとのことを考えない質の悪い人間です。

 

妹Aは、私のことがきらいです。小さいころから私と同様に愛情不足。感情の起伏が人より激しいところがあるかな。自分の性格に気づいていないところは、私とは違うかな。

 

妹Bは、母親に一番可愛がられて育ちました。一番まっすぐに育ったと思います。ただ、パニック障害等のメンタル面は弱い部分があるかな。

 

 

毒親や毒家族に育った人は、本当に苦しんでいると思います。

そして、

その経験は最初のうちはプラスに働くことは少なく自分の人生に大きなマイナス要因となっていくことのほうが多いように思います。

ただ、もしこれを克服できたとすれば普通につかんだ幸せの何倍も幸せを感じることが出来るのかもしれません。

 

私の家族は、HSPという、人より敏感で、繊細な気質を持つ自分が育つにはあまりに過酷な場所だったと思います。

静かに暮らせる場所があって、人権を育てる環境があったらと考えることもあります。

でも、これは試練です。未だ試練です。

 

どんなに美しく有能に生まれようとも

温かく心身健康な優しい両親の家庭に生まれる幸せには叶わないと私は思っています。

 

きょうは、このへんにしておきます。

長文になりました。

(あまり、まとまってないので後で書き直すかもしれません)

 

では、

ありがとうございました🍀